|
[REPORT] ▼ サンタモニカ市のPEN(Public
Electronic Network)について
2001年6月26日 三沢健直
■ はじめに
PEN(Public Electronic Network)は、アメリカで初めて地方自治体がパソコン通信を使ったネットワークを市民に提供した例として有名である。また、その中の電子会議室で行われたホームレスに関する議論が現実に政策に結びついた例としても広く知られている。
会議室が設置された当初の熱気は現在過ぎ去り、これに関する情報も90年代初頭から中頃のものがほどんどである。当初市民の健全なコミュニティ意識を育成するために有効であると考えられていたこの試みは、当初の目論見通りには進んでいない。過熱した議論のために議員や市職員が脱退してしまったからだ。しかし、そこにあった可能性は必ずしも消えてしまったわけではなく、運営の方法によってはまだ十分な可能性があると思われる。
■ 経緯
PENは1989年、サンタモニカ市(カリフォルニア州)の情報システム課長だったケン・フィリップが南カルフォルニア大学院生だったジョセフ・シュミッツと協力して構築したネットワーク・システムである。サンタモニカ市は1980年代初頭には既にコンピューターが普及していた。1984年には、市職員1500人の内の600人がパソコンを使用しており、市会議員の7人の他に市の幹部9人がノートパソコンを支給されていた。1987年の調査によると市民の1000人の内300人が既にコンピューターを持っており、その内の4分の3がモデムを所有していた。
ネットワーク構築にあたって市役所内で激しい議論があったが、市民に対して「パソコン通信で住人参加の出来るシステム」の是非を問うたところ、75%の住民がより多くの市の公共サービス情報を求めているし、50%が議事録を読みたい等と回答したことから
(1)、1989年2月実行に移された。住民の期待は大きかったらしくPENの開始後2週間で500人が登録した。当初最も活発だったのは会議室である。前述したように当初は市会議員や市の職員が参加し、市民と対等に議論することが出来て、一定の成果を生んだ。しかし1994年にはすべての市会議員が脱退し、その後初期の熱気は薄れている。
しかし1998年に市の唯一の新聞だったコプリー・ニュースペーパーが倒産したことにより、PENの地域メディアとしての重要性は高まっている。1998年には女性有権者連盟という市民団体がモデレーターとなって選挙会議室を開催する試みがなされている。1999年からは住民が予算に関する独自の提案をするためのフォームがWWWに設置されている。
■ 概要
◎PENの設立の目的は以下の6つである。
1. 公共的な情報に容易に接することを可能にすること。
2. 市行政サービスの伝達の助けになること。
3. 市民間の新しいコミュニケーションの形を提供すること。
4. コンピューター通信技術による公開討論の場を提供しコミュニティ意識を強化すること。
5. 市民のIT技術への知識を拡大すること。
6. すべての市民に公正な情報を提供すること。
◎PENのプログラムは大きく次の四つに分けられる。
1. 市情報告知サービス
議員名簿、連絡先、任期など。市議会及び各種委員会の議事録、市当局の報告、審議の結果など。条例や規制のデータベース。地震情報や地震対策、ペット登録やビジネスライセンスなどの各種免許の申請、報告書の提出など。現在サンタモニカ市のサイトには200以上のフォームが設置されている。
2. 電子メールによる行政サービス
PENの登録者には全員に無料でメールアドレスが提供され、市庁への質問、相談、苦情の受付等に使われる。各課にはメールに答える職員がおり、市民に返答すると同時にマネージャーに通知する。当初、市の職員は24時間以内の返答を義務付けられていた
(2)。(48時間/1992)(3) 。メールはユーザー同士の意見交換に使用できて、市と住民の間使用より(案5%)それ以外の使用の方が多い(95%)(2) 。1998-2000年は住民が自ら予算を提出するためのフォームが設置された。
3. 会議室
教育、犯罪、経済発展、環境、芸術、ホームレスなどのテーマごとの会議室がある。当初はそれぞれの会議室が独立していたが、現在は一つの会議室とし、モデレーターがトピックごとにメールを振り分けている。毎月の使用は500人から600人で、常連メンバーと見なされる人が約50人いる(1994)。
4. 図書館利用サービス
図書の検索サービス。
当初は会議室の利用が全体の41%を占め、メールが25%、31%が掲示板を利用していた(1991)。しかし現在は会議室の利用は当初ほど盛んではない。PENには市内に居住する者、働く者、学校に通う者なら誰でも無料で参加できる。人口約9万5千人の都市で、加入者は約9000人(1998)。そこには200人のホームレスが含まれるていた(1996)(4)。月4000回以上のアクセスがある(2)。市内の4つの図書館と4つのコミュニティセンターなどの公共施設に設置された端末からアクセスできる(1996)。もちろんコンピューターとモデムがあればどこからでも接続できる。当初は閉じたネットワークだったが、現在はインターネットと接続されている。当初は利用の内20−25%が公共施設からの利用だった(1991)。
1990年に市はPEN登録者と非登録者に対してアンケート調査を行った。これによると利用者の平均年収は5万ドルで市全体は3万6千ドル。利用者の65%が男性だった。65%が四年制以上の大学を卒業しており、市全体の34%よりだいぶ多い。PEN登録者の30%、特に利用頻度の多い者の58%が政治に関心があると回答したのに対し、非登録者では15%だった。平均の利用回数は月5.5回で登録者の半数は月0回か1回だった。
■ 資金
ヒューレッド・パッカード社が35万ドルに相当するハードウェアとUNIXシステムを、さらにメタ・システムデザインが20万ドルに相当するソフトを無償で提供した。市は職員とスペース、プログラムを提供した。またアメリカ中のマスコミが取材に来た宣伝効果は大きいと言われている。
年間で維持費として約20万ドルかかるが、これはほとんど人件費である(1994)。ネットワークの維持費は市が全面的に負担している。
■ 活動の成果
1.SHWASHLOCKプログラム
当時サンタモニカ市には約10年前から、約2000人のホームレスが住んでおり、避難シェルターやビーチなどで暮らしていた。市の住民はこれに対し不満を募らせていた。そのためこの問題は当時の会議室の中心的話題になった。1989年8月からホームレスと住民との間で電子会議室を使った定期的対話が始まり、その中で行われた一人のホームレスの問題提起が解決への第一歩となった。
当時ホームレスが利用することが出来るシャワーは、ビーチにあるのも一つだけで、正午までは冷水しか出なかった。また温水の出る公立公園のシャワーは正午からしか使えないので、ホームレスが仕事を探しに行く前に体を清潔にすることが出来なかった。さらに、彼らの服や荷物を収納する場所もなかった。これでは仕事を見つけられないし、ホームレスの社会復帰を妨げていると彼らの一人が主張したのである。
当時定期的に会議室に参加していた人々の中に、心理学の教授ミッチェル・ワイティグ(Michele Wittig)を中心としてPEN行動グループを結成していた人々がいた。このグループのメンバーが会議室を通してこのことを知り、30個のロッカーの設置、公立公園の温水シャワーが朝6時から使えるようにすることなど求めて活動を始めた。このプログラムはSHWASHLOOK(Showers、Washers、Lockers)と呼ばれている。グループは同時にホームレスに仕事を斡旋するのための"仕事銀行"も開始した。この活動に対する反対意見もあったが、電子会議室を使ってなんとか意見を集約し、同グループは1990年5月に市議会に要望書を提出した。その結果、市はシャワー、洗濯機、ロッカーの簡易施設設立のために15万ドルを拠出することを決め、公共シャワーも朝6時から使用できるようになったのだった。
その施設は後にホームレスサービスセンターに統合された(1991)。ここに登録されているホームレスは約700人(1996)で、財源を市が負担し、社会福祉団体が運営している。
この電子会議室では市会議員とホームレスが対等の立場で発言できたことが大きな特徴である。この施設を利用して職を見つけた一人のホームレスは「この会議室では人間として扱われた」と後に述べている。つまり<社会>への復帰をネット上で先行して経験したと言えるのではないだろうか。
また興味深い点としてはPEN行動グループのメンバーは最初会議室で出会ったものの、活動を続ける内に実際に会ってミーティングを行うようになったということである(5) 。つまりある特定の目的を持った電子上のコミュニティは最終的には現実社会へと移行する。これは電子会議室がコミュニティの形成に貢献した典型と言える。
2.選挙に関する討論
会議室のもたらした大きな利点のひとつとして、最終的な決定を下す前に十分な議論が出来るようになったことが挙げられる。例えば、1990年の地方選挙の際には30人の候補者の公約が掲示され、有権者は数週間前から、公約が有望かどうか議論することが出来た。それは全く平等な雰囲気で発言された。
この選挙の際の主な主題は、カリフォルニア州の所有するビーチを、マイケル・マッカーシーと言うレストラン経営者が60年間借り受けて、そこに豪華ホテル建設を建設するという計画の是非だった。それ以前ビーチはプライベートクラブの「砂と海クラブ」に貸し出されていた。
開発反対派のグループがPENにおいて議論を進め賛同者を集めた。この結果1990年11月にはビーチを一般の使用のために貸し出す法律が成立した。
3.教育活動
市では小学校にコンピューターを導入し、子供達にコンピュータを教えようとしていた。一方PEN行動グループは、世界の31ヶ国を結んで10歳から15歳までの生徒がコンピュータやビデオ電話などで会話するKID-91というプログラムに参加することを決め、活動を始めた。市内の私立学校から12のクラスを選択し、それらのクラスにPENを接続し学校単位で会議を行ったのだ。子供達は東西ヨーロッパ、旧ソ連、日本、南アフリカなどの子供達と興味深い会話を行うことが出来た。この活動は市議会、学校、芸術委員会に支持されてその後も継続して行われている(1996)。
また、ワシントンDCの女性有権者連盟代表のジェーン・グルーンバウムは、無関心な若者や恵まれない少数派を政治に参加させるために有効だと言っている。特に若者は市民的活動に参加した経験はないがITに関する十分な知識を持っている。今日の学校教育の問題としてしばしば指摘されるのは、子供達が同じ年の人間と専ら交際するという点である。このような環境では、市民としての意識は形成され難い。したがってPENのように子供から大人まで、しかも市会議員からホームレスまでがいる場所に参加することは子供達にとって有意義な経験になるだろう。
4. 日本との交流
1992年11月には大分の地域ネットコアラと通信を行い、大分市民とサンタモニカ市民がメールで通信した。
5. 予算案の提出
1998-1999年度から、住民は簡単なフォームを使って自らの予算案を提出できるようになった。フォームでの投稿はe-メールに変換されて市長を含む7人の議員と財政課、各課の責任者に送られる。1999年に市が受け取った予算案は112個で、その内54がWebを通して提出された。
■ 問題点
PENの創始者達にとって意外だったことはフレーミング(罵詈雑言)が横行し始めたことである。フレーミングの存在は既に70年代から指摘されていたが、ここではすべての参加者は本名で登録しておりメールにはそれが記載される上に、参加者はみな至近距離に住んでおり、匿名性が低かったので、それは発生しないと予想されていた。しかし議論が過熱しすぎるあまり個人攻撃、誹謗中傷へとつながることがあり、また卑猥な書き込みなどを行う少年達もいた。宗教的な対立もあった。
さらに市議会議員や市職員と住民の間の「コミュニケーションとアカウンタビリティ」に役立つはずの会議室は、「熱心な監視」の様相を呈し始めた。常連の約50人に対し市議会議員達は「一般の活動家より愚か」だと言っている。1994年にはすべての市会議員は脱退してしまった。
その代わり何人かの議員は自らスポンサーとなって独自の会議室を作り、住民との対話の場所にした。そこでは議員のスタッフが議員に代わって会議に参加し、議員との仲介役をしている。その結果投稿から返答まで数週間もかかる結果となっている。
また、市職員にとってもこの電子会議に出席することがあまりに多くの時間を必要とすることが負担となった。結局会議室は17のトピックを持つ一つの会議室の再編され、参加者はモデレーターに投稿し、モデレーターがそれぞれのトピックに振り分けるという方法に変更されることになった。また投稿は一人一つのトピックにつき一日二つに限定された(2) 。
■ 自治体電子フォーラムの今後の可能性
上記のような問題に関して、既にいくつかの対策が取られている。例えば複数の女性専用会議室やプライヴベート会議室の設置、マナー違反者への注意などである。これによって多くの問題が解決されたと報告されている(6) 。しかしもちろんすべて解決したわけではない。
PENが自治体による運営であったことも問題の一つといわれている。つまり彼らは「言論の自由」に敏感だったために、問題を起こしかねない発言を禁止し、発言者を閉め出すことが出来なかったのである。結局、市会議員全員が脱退することになってしまった。このことは、議員とホームレスが対等に議論できる場であったはずのPENには大きな損害である。なぜなら多くの住民にとって、住民に選出された議員の参加が強いインセンティブになっていたことが指摘されているからである。
市会議員、市職員、住民が対等に参加する会議室が、コミュニティ意識の形成を始め多くの利点が指摘されながら他の都市での大きな広がりを持たないのは、この問題に対する効果的な解決策が見つかっていないためだと思われる。
この問題を解決するために創始者のケン・フィリップは、強い会議室リーダーと良いシステムオペレーターを作ることが重要だと述べている。この作業は時間と労力を多く必要としながら、効果の見えにくい労働である。とすればこれは典型的に市民の仕事であると言えるのではないだろうか。運営を市民が行うことにより、誹謗中傷などの攻撃的発言の禁止し、従わない者を排除することもできる。
そのために、例えば次のような方法が考えられる。一つは発言に関する厳格な規則を作ること。もう一つは、参加者の発言が直接、市会議員などの他の参加者に配信されず、いったんモデレーターの市民が発言を受け取ったあとで、意義のあるメールだけを配信していく方法。
いずれにせよ、管理には多くの時間と労力が必要になる。このような労力を行政に期待することはできない。しかし、このような労力なしに電子ファーラムは成立しないだろう。今後は、電子会議室の管理を市民団体に委託することが不可欠になると思われる。
参加者のモラルについては稿を代えて論じるつもりだが、発言する人々が発言に責任を持てる形式が必要になるだろう。
今回PENについて調べる中で、サンタモニカ市会議員のマッコーウェン氏と連絡が取れた。彼はPEN行動グループの代表として活動し、その直接的帰結として市会議員に選出された。現在彼は市議会の討論中にeメールを使って直接市民とやりとりをすると言う試みを行うなど、情報技術を生かした市民参加について模索を続けている。
■ PEN会議室
http://pen.ci.santa-monica.ca.us/communication/conferences/index.htm
1.読売新聞連載「生活情報新世紀」米のテレコム事情
(1) サンタモニカの「PEN」(1989.8.25)
(2) パソコン導入に市議が旗振り(8.26)
(3) 必要な議事録が瞬時に(8.29)
(4) 公共施設に無料パソコン(8.30)
2.The Role of Community Network in Promoting Democratized(1995)
http://www.scils.rutgers.edu/~covi/covipugwash.txt
3.New Community Networks Wired For Change(1996)
http://www.scn.org/civic/ncn/chpt4.html
4.CLAIR REPORT 119号1996.6.28 [米国の州及び地方自治体における情報通信政策]
5.Yakety-Yak,Do Talk Back(Wired 1994.1.2)
6.Community On-Line:Community-Based Compiter Networks(1995)
http://sap.mit.edu/anneb/cn-thesis/html/pen.html
その他の資料
[ネットワークinアメリカ]知野明 翔泳社1989.11
Social Norms and Implications of Santa Monica's PEN(Public Electronic
Network)(1991)
http://mckeown.net/PENaddress.html
Santa Monica Citizens Wage Internet Campaign(CNN 1999.6)
http://www.cnn.com/TECH/computing/9906/09/santamonica.idg/
ニューCOARA発足(1996)
http://www.coara.or.jp/REPORT/Nikan_syunou/Densikuni/1.html
進歩ネットワークセンター推進消息7号1998年7月28日
http://www.jca.apc.org/~yukihiro/korea/jinbonews/newsletter-07.txt
Veteran Leaders Offer Tips To This Year's Hopefuls(Santa Monica Mirror2000.7)
http://smmirror.com/volume2/issue5/veteran_leaders_offer.html
米国西海岸におけるインターネットGIS(Geographical Information System)事情(2000)
http://www.fujitsu.co.jp/hypertext/fri/kokyo/letter/kiji1203/kiji3.html
CIVIC NETWORKS: SOCIAL BENEFITS OF ON-LINE COMMUNITIES(1995)
http://www.op.net/~woodsage/documentation/civicnetwork.html
Informational Imperatives and Socially Mediated Relationships(1996)
http://lamb.cba.hawaii.edu/pubs/infoim19.html
市民参加をめぐって(1992)
http://203.139.228.210/~m.yamaguchi/Kinensi2.htm
Cool Netizen
http://www.apk.ne.jp/~ken/ronbun/syuuron.html
Santa Monica Seeking a Return To On-Line Civic Forum of Yore(NY Times
1998.9)
http://www.nytimes.com/
Santa Monica seeks email on budget (1998.1)
http://www.feinstein.org/smoutlook/smseekspublicemailonbudget.html
ご意見ご感想をお待ちしています。無断転載厳禁です。転載、リンクの際は御一報ください。
(このレポートは2001年2月13日に書かれた。調査には主にインターネットを利用した。)
【REPORT】 ▼
目次
|